Open Source 〜個展前に思うこと

2006年,個展,展覧会出品

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オープンソースは無償でソースコードを書く人たちによって支えられている。
彼らはにとって名誉や自己満足が第一義でカネは二の次、限りなくプロに近いアマチュアで、他に仕事を持っている人(又は学生)がほとんどだ。
にもかかわらずレベルの高いソフトウェアを多数送り出している。 このことをアートの分野に置き換えることはできないか、、、
何となく自分のスタンスと似ているのだ。

は作品を売って生活しているわけではない。 他に仕事があり、自分のスキル「造形の技術を売ること」を生業としている。
作品と収入が直結していないため、市場を意識することなく、比較的自由な制作(無責任な制作?)ができる。
俺と同じような立場の作家が大多数のはずなのだが、
「絵が売れない」とふて腐れ、売れない絵を市場へ送り込むために、無駄なエネルギーを消耗しているようにしか見えない。
そしてすべてのエネルギーを使い切り筆を捨てる。
もしアートのオープンソース化が可能なら、こうした現状を打破するきっかけにならないか、それとも単なる妄想なのか、、、

 

■ゴミか作品か

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++環境問題でも訴えるつもりか?
そうしようと思ったこともある。でもそれは後付の理由にすぎないだろ。こんな作品作ったってゴミを減らすどころか逆に増やしてるんだからな。

散らかすことは好きだ、、、
じゃなくてその逆、、、
片付けることが好きなのかもしれない。

++それなら片付ける方を作品にすれば?
ああ、そうかも。でも表現の仕方がわからない、というか片付けたことで満足してしまう。
いや待て、それも違う。
実はすでにこの空間(作品と作品が置かれた空間、、、どんなに散らかっているように見えても)は片付けられているし、きちんと整理されているんだ。すべてを偶然に頼っているわけではない、俺の主観が反映されているのだから。

 

■山の絵

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俺は作家であると同時に自称登山家でもある。
で、よく人から言われるんだ。山をテーマに絵を描かないのかって。俺は山では絵を描かない。そんな余計な時間と体力を使いたくないからね。そして自分がそこに存在することで満足してしまう。わざわざ絵に残そうなんて考えられないよ。ちなみに証拠写真以外は写真も撮らない。
多分、山へ行くことが自体が自己表現なんだろうな。

 

■インスタレーションなのか

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インスタレーションという響きには抵抗がある。それは俺がかつて日本画を学んでいたからかもしれない。日本画から立体へ作品の形態が移った後でも、インスタレーション的な仕事ではあるが各パーツの配置場所はアトリエでのシュミレーション時にほとんど決めていた。
展示場所では決められた位置へ決められたパーツを設置するだけ。単なる作業。インスタレーションでもないし、言ってしまえばアートでもないのかもしれない。そんなに堅苦しく考えないでもっと気楽にやれよ、と言われることもある。
で、俺は気楽にできない理由をこう答えた。
「俺の作品は、たとえ立体でも日本画だから」

いっそのこと展示会場で制作すれば?
そうすれば「インスタレーション」が、気持ちの上で納得できるのかもしれない。

 

■趣味?

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ここまで読んでくれてもう気付いている方もいると思うが、俺は画家・美術家という人種を少々小馬鹿にしている。かつて(今でも?)彼らと酒の席で美術談義になると俺は必ずこう言ったものだ。
「俺、絵は趣味だから」
画家に対してこんなこと言うと100%怒るね。
俺の作品が趣味なら、言われた方の作品も趣味と思われているわけだから、そりゃ怒るよ。
そんな様をネタにしている俺もどうかと思うが、俺の言いたいことを要約すると「趣味」の一言になってしまうんだ。
で、何が言いたいかというと、作家が自分の作品で社会貢献しようとするならば、市場に受け入れられる作品を作って、客を満足させたり癒したりしなきゃならないよね。自分の意思を曲げてでも。
ここで、すでに俺の考えが間違っていると思ったら、この先は読まなくていい。

趣味な理由その1
自分が自発的に制作したモノでは食ってない。人に頼まれて作ったモノや「製作」したモノは収入源になっているけど、作品とはちょっと違う。

趣味な理由その2
制作に対する姿勢が、他の趣味と同じレベル。制作だけを特別扱いしていない。登山も釣りもスノーボードもパソコンも同じ。

 

■趣味 ???

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俺、美術学校を卒業するときに、教授から言われた一言が忘れられないんだよ。
「絵を続けたいなら、親のスネを髄までしゃぶりつくせ」
結局、基本的な社会性を犠牲にしなきゃ、作家にはなれないんだってことなんだな。社会に出てしばらくアルバイトで食いつないでたけど、その教授の一言が身にしみてわかった気がする。生きることで精一杯な自分に、制作を続ける体力を残せない、お金も。
その後一応は就職したけど、それも長続きしない。アルバイト時代とは逆に、会社で仕事に追われ、やはり思うように制作ができない。

かといって親のスネなんて無い。
どうする?八方塞じゃん。
ここで敢えて趣味ではない「作品」を作ってそれで食っていくか。
いや〜、いまさら日本画描けったって無理だしな。牡丹とか描いてみる?

こんなことを考えながらアトリエを散らかしていることが結構楽しかったりする。

 

■Open Source

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さてオープンソースに話を戻そう。
ネットやPCの環境がオープンソース化されると美術界に何をもたらすか?
他の業界と同様、「敷居」が低くなる。
美術の世界、特に日本では「有名作家」-「評論家」-「画商(画廊)」の強い関係で成り立っている。
一般庶民が入り込むことは非常に難しい。
例えば、カルチャースクールで絵を学んでいるような人が、自分の絵を売りたくても、売る場所が無い。また、絵を買いたくても、高価だし、美術業界に通じていなければ、どこで何を選んで良いかわからない。
ならば「一般の作家」-「一般の買い手」を直接結びつけるシステムを構築したらどうか?
しかも格安で。
これを実現する画期的なアイデアがある。
今はまだ教えられないが、、、

「敷居が低くなる」ということは「裾野が広がる」ことかもしれない。
制作活動・創作活動をする人口が増えること、絵は「見るもの」から「描くもの」へ一般の意識が変化することを期待する。

巨匠○○先生を越える近所のおばちゃんが登場する日も、そう遠くないかもしれない。

 

■なぜペンギン? なぜパソコン? しかも旧式!!

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ペンギン—好きだから。
パソコン—好きだから。
これでは答えになってないね。

今回登場のペンギン達は、以前仕事でデザインした、ペーパークラフトのペンギンを利用した。
さらにペンギンはオープンソースのソフトウエア群で構成されるOS、「Linux」の象徴・マスコットキャラクターでもある。「Linux」は優秀なOSで、どんな機種にでもインストール可能。最新鋭の大型コンピュータやサーバー、ワークステーションはもちろん、現役を退いた旧型のパソコンでも使用できる。しかも無料。タダですよ。ちょっと前まで、システムエンジニアが何十人も参加し、巨額を投じて構築したシステムも、俺のような素人がタダで作れる。
個展会場のWebを使った遠隔操作やサイト自動更新などのシステムもLinuxで構築した。
「人から貰ったPC」 + 「Linux」
という構成だから、サーバー構築の経費はほぼゼロ(周辺機器は多少購入してます)。

Linuxは技術を無償提供する有志によってバージョンアップされるため、ツギハギだらけ、、、会場のペンギンも同じ?
それでもペンギンは先へ先へと進んでいく。
過去のしがらみすら糧にして、、、